五反田

五反田はいろいろと思い出のある町。

幼少のころ、祖父がよく焼肉屋に連れて行ってくれた。
当時の五反田は有楽街に活気がありキャバレーや焼肉屋がたくさんあった。
とてもじゃないが女性や子供が気軽に入れるお店など無かったように思う。
焼き肉屋や寿司屋は今では家族連れで行くようなところだが、昔は高度成長期を支える働き盛りの男性たちの社交場だったのだろう。
五反田有楽街で自分以外の子供など見かけることはほぼ無かった。

時は流れ数十年後、祖父が亡くなった。
奄美出身の祖父は自宅に友人を招いて自身のルーツミュージックである奄美シマ唄に興じる日が多く、身内からは「不良老人」と呼ばれていた。

そんな祖父が急逝したのを機にその寂しさを紛らすために私も三線を独学するようになった。
不思議なもので祖父が元気な頃は三線を「うるさい」と思っていたのだが、その音が聞けなくなってしまうと妙に寂しくなってしまったのだ。
形見の三線を弾き、シマ唄を唄うようになると、いろいろな方面から演奏を依頼されることが増えてきた。

あれから二十年、音楽が趣味の域を超えてしまって現在に至る。

五反田は東口に沖縄料理店・結まーる、西口に奄美料理店・みしょーれ奄美とシマ唄の生演奏を聞きながらシマの酒を飲める店がある。
今では私も昔の祖父のように五反田に足しげく通うようになってしまった。

血は争えないということか。